劇場版"文学少女"2回目+短編。

いって来ました2回目。場所は池袋のシネ・リーブル@20:25。10分ほど遅刻。
東武(西口)と繋がってるルミネの8階。普段行かないので迷った。
別スクリーンでやってた銀魂は人多かったけどこっちは閑散。40〜50人くらい?
シネセゾンは正方形っぽい客席だがこっちは縦長で少々客席が少ない。
前回と違って2割くらい女性がいた。
既読者として見た2回目の感想メモ。原作との比較的な感じで。
過去の感想と比べて超ネタバレ気味なので注意。

3つの話の統合〜2つの繋ぎ部分

劇場版は冒頭部(ギャリコの話、ポストへの投函くらいまで)が1巻「死にたがりの道化」の最初
中盤〜後半(ななせ入院〜プラネタリウム)が5巻「慟哭の巡礼者」
終盤(駅のホーム以降)が8巻「神に望む作家・下」の流れを汲んでおり、
各部分のつなぎがオリジナルになっている。


1巻→5巻部分については事件の始まりがポストへの投稿になっており、
遠子先輩は最初から事件に関わっていくことになる。
原作じゃ遠子先輩後半まで影薄いですからね。
5巻→8巻部分はプラネタリウム→駅のホームのシーン移動が結構強引。
別れのシーンが文芸部の部室から駅のホームへ変更されている。
まだ卒業式があるからまた会えるんじゃね?というツッコミはなしで。
多分プラネタリウムのシーンから間を置かないようにするためにシーンを変えたのかな。
5巻と8巻を繋ぐという発想が結構強引な訳でちょっと無理が見える。
その間の巻で語られている2人の思いや、
なんで先輩は心葉と別れなければいけないのか、という部分がちょっとわかりにくい。

肌に触れる遠子先輩。

劇場版で印象に残った演出は、遠子先輩が(主に心葉の)手を握ったり、頬に触れたり
いちいち肌に触れてくるところ。
迷う心葉の手を引いて導いたり、傷心の心葉の頬に触れて心を解かしたり。
先輩の隠れた思いもこの演出には見え隠れしていて、心動かされた。
躍動感溢れる遠子先輩の動きとこの演出はアニメならではのいい部分だと思う。

影の薄い竹田さん&流人&麻貴

5巻じゃ麻貴先輩の影は薄いからいいとして、
大活躍だった竹田さん&流人のお騒がせコンビの出番は劇場版では少ない。
原作の魅力の1つは、1つの事件が複数の関係者が各々の思いで行動した結果として現れ、
それぞれの思いが絡み合うところにあると思うが、
劇場版では心葉と美羽、遠子先輩のストーリーに焦点を当てるため
他の登場人物の行動は殆ど省略されている。
飛び降り直前の心葉を引き止めるシーンやプラネタリウムの竹田さんは
原作のハイライトだっただけにもったいないかな、と思った。
プラネタリウムの参加者から竹田&流人&麻希はハブられてるし(麻希は入る前に出てたけど)
自己啓発っぽい「なりたい自分」を皆が語るシーンも美羽の語りのみとなっている。
短編でも思ったけど、そういう要素まで全部いれたら尺が足りないから
取捨選択が大変だったんだろうと。
終盤以外は割と簡潔にまとまってると思うけど、抜いた要素も原作ファンにとって大事なところなので
不満に思う気持ちもわからなくはない。

遠子先輩の喜怒哀楽が楽しめる短編

ここからは短編(遠子先輩編)について。
ストーリーは前記事の予想通り、7〜8巻の過去話を膨らませているが、殆どオリジナルといっていい。
遠子先輩が先輩になる前の物語。
心葉の小説「青空に似ている」を読んでメルヘン世界へ旅立ったり
自信満々で編集者に原稿を差し出す中学生遠子先輩は愛らしい。
本編じゃ出番のなかった流人も、ここでは遠子先輩を見守るよき理解者として
いい味だしていた。というか遠子先輩と流人の掛け合いがメイン。
あそこまで心葉の作品に入れ込み、賞の選考や心葉のその後に一喜一憂する先輩を見たら
流人だって7巻のあの展開に至ってもしょうがないかな、とも思えた。
そういえば遠子先輩の両親を巡る「狭き門」の話は殆ど出てこない。
なので叶子さんがなんで遠子先輩をネグレクトしているかは、未読者にはわからない。
叶子さんがただの悪い人になっちゃう気が…
欠点はそれくらいで、本編につながるストーリーとしてかなり楽しめた。
本編も2回見たら飽きるかな、と思ったが再発見もあり、見てよかったと思う。
eufoniusのEDも染み入るように感じ、1回目よりよく聴こえた。
後はもうちょっと客が増えれば…